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ビリー・ワイルダー

生年月日
1906年6月22日
出身地
オーストリア/ウィーン

略歴

本名はSamuel Wilder。新聞記者、脚本家として活躍するが、ユダヤ人であったためナチの台頭とともにフランスに移住。その後メキシコを経てアメリカに移り、やがてチャールズ・ブラケットと出会い二人は38年の「青髭八人目の妻」で初めて共同で脚本を執筆する。そしてこの黄金コンビは50年の「サンセット大通り」でコンビ解消するまで続き、数々の名作を生み出すことになる。また、「青髭八人目の妻」「ニノチカ」では監督のエルンスト・ルビッチから多大な影響を受け、以後、ルビッチこそがワイルダーの映画製作における“基準”となる(ワイルダーのオフィスには常に『ルビッチならどうする?』と書かれた額が飾られていたことはあまりにも有名)。ワイルダー自身の監督第4作目にあたる「失われた週末」でアカデミー監督賞と脚色賞を受賞、ハリウッドのトップ監督の仲間入りを果たす。その後、「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」に代表されるシチュエーション・コメディの傑作を次々と生み出す一方、「サンセット大通り」「情婦」といったサスペンスにも類い希な才能を発揮、あくまでも“脚本ありき”の職人気質の監督として映画史に燦然と輝く偉大な映画作家となった。アカデミー賞に20回ノミネートされ、うち7回受賞(製作も兼ねていた「アパートの鍵貸します」の作品賞も含む)。87年にはアーヴィング・タールバーグ記念賞も受賞した。49年に女優と再婚。2000年には“ワイルダーならどうする?”というキャメロン・クロウとの長時間インタビュー集が発表され話題となる。また2001年、同対談集の日本での発売と前後して、彼の大ファンを自認する三谷幸喜氏との対談が実現、その模様がテレビで放映され相変わらずのお茶目ぶりを披露、日本のファンを喜ばせてくれた。しかしここ数年は体調がおもわしくなく、翌2002年3月27日にビバリーヒルズの自宅で静かに息を引き取った。享年95歳。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
LA批評家協会賞 第20回(1994年)
  • 生涯功労賞
アカデミー賞 第60回(1987年)
  • アーヴィング・タールバーグ記念賞
ヴェネチア国際映画祭 第33回(1972年)
  • 栄誉賞
アカデミー賞 第33回(1960年)
アカデミー賞 第33回(1960年)
NY批評家協会賞 第26回(1960年)
NY批評家協会賞 第26回(1960年)
ゴールデン・グローブ 第12回(1954年)
ヴェネチア国際映画祭 第12回(1951年)
アカデミー賞 第23回(1950年)
ゴールデン・グローブ 第8回(1950年)
カンヌ国際映画祭 第1回(1946年)
アカデミー賞 第18回(1945年)
アカデミー賞 第18回(1945年)
NY批評家協会賞 第11回(1945年)
ゴールデン・グローブ 第3回(1945年)
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