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ウディ・アレン

生年月日
1935年12月1日
出身地
アメリカ/ニューヨーク州

略歴

本名はAllan Stewart Konigsberg。ユダヤ系の家庭に生まれ、この出自と家庭環境が彼の作風に強い影響を与えることとなる。高校時代から新聞などにジョークを投稿。ニューヨーク大学は中退してしまうものの、TVバラエティや舞台などで台本を手掛ける仕事にありつき、スタンダップ・コメディアンとしても活動する。1965年の「何かいいことないか子猫チャン」で脚本兼出演者として映画デビュー。66年「What's Up, Tiger Lily?(原題)」で初メガホンを執る。そして77年の「アニーホール」でアカデミー賞作品賞をはじめ、自身も監督・脚本賞に輝く。ところが授賞式には姿を現さず、マンハッタンのクラブで得意のクラリネット演奏をしていた。そのことについて彼は“アカデミー賞には興味がない”とコメントを残し、後の「ハンナとその姉妹」が脚本賞を獲得した時にも欠席。しかし、アメリカ同時多発テロが起きた翌年(2002年)の授賞式にはニューヨーク舞台の作品群を紹介するプレゼンターとして登壇し、スタンディング・オベーションに包まれた。いわゆるニューヨーク派の監督で、その都会的な物語は一部熱烈なファンに支持されているが、04年の「メリンダとメリンダ」以降、一旦ニューヨークを離れ、「マッチポイント」(ロンドン)、「それでも恋するバルセロナ」、「ミッドナイト・イン・パリ」とヨーロッパを舞台に創作している。私生活では共演者との浮き名が多く、ルイーズ・ラサーなど2度の離婚後、ダイアン・キートンやステイシー・ネルキン、ミア・ファローとも関係を持つ。特にファローと交際中、彼女の養女スン=イー・プレヴィンと不倫していたことが大きく報じられ、訴訟沙汰に発展。その後97年、スン=イーと結婚に至った。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
ゴールデン・グローブ 第71回(2013年)
  • セシル・B・デミル賞
アカデミー賞 第84回(2011年)
ゴールデン・グローブ 第69回(2011年)
アカデミー賞 第59回(1986年)
NY批評家協会賞 第52回(1986年)
LA批評家協会賞 第12回(1986年)
カンヌ国際映画祭 第38回(1985年)
NY批評家協会賞 第51回(1985年)
ゴールデン・グローブ 第43回(1985年)
ヴェネチア国際映画祭 第40回(1983年)
NY批評家協会賞 第45回(1979年)
アカデミー賞 第50回(1977年)
アカデミー賞 第50回(1977年)
NY批評家協会賞 第43回(1977年)
NY批評家協会賞 第43回(1977年)
LA批評家協会賞 第3回(1977年)
ベルリン国際映画祭 第25回(1975年)
  • 審査員特別賞・銀熊賞
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