略歴
本名はSofia Villani Scicolone。母妹と共にナポリで貧しい生活を送る。当時から素晴らしいプロポーションだったが50年、“海の女王コンテスト”で12人の中に選ばれ、その賞金で演劇学校に通う。その後残りの賞金でローマに移住。同年「クォ・ヴァディス」で映画デビュー(エキストラ)。しかし依然生活は厳しく、ヌードで映画出演したり、モデルになったりしていた。だが次第に運も味方につき、「ナポリの饗宴」に出演してイタリアで火が着き始め、55年「河の女」の野性的な魅力で世界的にも名前が知られるようになる。そしてそれを見たスタンリー・クレーマーによって57年「誇りと情熱」でハリウッドデビュー。以降、演技面でも実力を発揮して数々の賞を受賞。イタリアを代表する大女優となった。現在でもその美貌は決して失われてはいない。57年、下積みの頃から知り合いであり、良きアドバイザーだったプロデューサーのカルロ・ポンティとメキシコで結婚。しかしローマ・カトリックの布教されていないメキシコでの、既婚者だったカルロの離婚と結婚を教会は許可せず、逆にカルロを重婚罪で告訴、戸籍上は不成立となった。その後長い同棲生活の末、66年パリで結婚成立。イタリアの上告裁判でも重婚罪は却下された。以降二人とイタリアの関係はあまり良くないと言われている。68年に長男、73年に次男を出産している。
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受賞歴
映画賞 | 受賞回(年度) | 受賞部門 / 作品 |
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ヴェネチア国際映画祭 | 第55回(1998年) |
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ベルリン国際映画祭 | 第44回(1994年) |
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ゴールデン・グローブ | 第52回(1994年) |
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アカデミー賞 | 第63回(1991年) |
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ゴールデン・グローブ | 第34回(1976年) |
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ゴールデン・グローブ | 第26回(1968年) |
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ゴールデン・グローブ | 第22回(1964年) |
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ゴールデン・グローブ | 第21回(1963年) |
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アカデミー賞 | 第34回(1962年) |
ふたりの女 |
カンヌ国際映画祭 | 第14回(1961年) |
ふたりの女 |
NY批評家協会賞 | 第27回(1961年) |
ふたりの女 |
ヴェネチア国際映画祭 | 第19回(1958年) |
黒い蘭 |