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ケイリー・グラント

生年月日
1904年1月18日
出身地
イギリス/ブリストル

略歴

本名はArchibald Alexander Leach。父は工員で母が10歳の時家出。幼い時に劇場の舞台裏を見学して演劇に興味を持つように。13歳でアクロバットとコメディを披露する一座に入り、18年にその一座と共に渡米。公演終了後はアメリカに残り下積み生活を送る。やがて幾つかの舞台に立つようになり、パラマウントと契約。32年に「その夜」で映画デビュー。その年には主役に抜擢されるようになった(この頃ランドルフ・スコットと同居していたため、同性愛疑惑が流れた)。36年、映画会社との専属契約が一般的だったこの時期にフリーの身となったが人気は衰えず、「新婚道中記」、「赤ちゃん教育」、「フィラデルフィア物語」と代表作に恵まれ活躍。「愛のアルバム」と「孤独な心」でアカデミー主演賞候補にもなった。その後53年に“ケイリー・グラントであることを忘れたい”と発言して引退。が、ヒッチコックの説得によって「泥棒成金」で復帰。以降は「めぐり逢い」や「北北西に進路を取れ」、「シャレード」と充実した演技力を発揮して秀作を残した。その傍らでは59年に独立プロを設立。「ペティコート作戦」を製作してヒットもさせた。そして66年の「歩け走るな!」を最後に引退。時折映画関連のドキュメンタリーなどに姿を見せていた。70年にはアカデミー名誉賞を受賞。しかし同性愛の噂は最後まで付きまとい、80年にはTVショーでネタにしたチェヴィー・チェイスを告訴したこともあった。私生活ではベッツィ・ドレイクやダイアン・キャノンなど、計5人と離婚。キャノンとの間に生れた一人娘のジェニファーは後に女優となった。86年、アイオワ州の講演先の劇場で脳卒中のため急死した。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
アカデミー賞 第42回(1970年)
  • 名誉賞
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