略歴
本名はJohn Arthur Kennedy。学生時代は機械工学を学ぶが、次第に演劇に興味を持つように。シェイクスピア劇で地方をまわり30年代中盤からNYへ。多くの舞台を経験し49年のブロードウェイ『セールスマンの死』の初公演でトニー賞を受賞。映画の方は30年からで端役として出演していた。LAでの舞台を見たジェームズ・キャグニーの推薦でワーナーと契約し、40年「栄光の都」で本格デビューを果たす。以降は「チャンピオン」、「アメリカの戦慄」、「青春物語」、「走り来る人々」とアカデミーに名を連ねるが、いずれも無冠。他の代表作には「ミクロの決死圏」などがある。40年に結婚。ふたりの父でもあった。90年、脳腫瘍で死亡。
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受賞歴
映画賞 | 受賞回(年度) | 受賞部門 / 作品 |
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ゴールデン・グローブ | 第13回(1955年) |
アメリカの戦慄 |
NY批評家協会賞 | 第17回(1951年) |
BRIGHT VICTORY |