略歴
本名はJohn Charles Carter。12歳の時に両親が離婚。母(旧姓チャールトン)が再婚し、義父の姓のヘストンを貰ってチャールトン・ヘストンと名乗るようになる。高校時代に学生劇に出演して演劇に興味を抱き、ノース・ウエスタン大学で演劇を専攻。44年には大学で知り合った演劇仲間の女学生リディアと結婚。直後に空軍に従軍して無線技師をする。除隊後に妻と共に劇団を旗揚げ。47年、ブロードウェイ・デビュー。やがてTVで活躍し始め、ハル・B・ウォリスに認められて50年「虐殺の街」でスクリーン・デビュー。その2年後に「地上最大のショウ」に出演。以降“ミケランジェロの彫刻のような素晴らしい肉体”とセシル・B・デミルに絶賛され、「十戒」、「ベン・ハー」などのスペクタクル大作や歴史劇のヒーローとして絶大なる人気を獲得。後記ではアカデミー主演賞に輝いてその後はスター街道を走り続ける事となった。66年からは俳優組合の会長に5年間就任。71年には「アントニーとクレオパトラ」で監督にも挑戦。俳優仲間からの人望も厚く、ハリウッドでの政治的リーダーとして強い影響力を示し、77年にはその功績からジーン・ハーショルト友愛賞を授与されている。98年からは全米ライフル協会の会長にもなった。近年も話題作への関わり合いが多い。ハリウッドの有名俳優としては珍しく離婚歴もなく、息子のフレイザーは監督になった。02年、アルツハイマーの兆候があることを告白。治療に当たっていたが08年に帰らぬ人となってしまった。
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受賞歴
映画賞 | 受賞回(年度) | 受賞部門 / 作品 |
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アカデミー賞 | 第50回(1978年) |
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ゴールデン・グローブ | 第24回(1966年) |
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ゴールデン・グローブ | 第19回(1961年) |
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アカデミー賞 | 第32回(1960年) |
ベン・ハー |