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ランドルフ・スコット

生年月日
1898年1月23日
出身地
アメリカ/ヴァージニア州

略歴

本名はGeorge Randolph Scott。織物工場の技術者の息子として生まれる。学生時代はフットボールの選手として活躍。ジョージア工科大に進み、オール・アメリカンの候補にまでなったが背中を痛めてその夢を断念。ノース・キャロライナ大に移り、父の跡を継ごうと織物技術を修得する。しかし卒業後、演劇に強い興味を示し父親のツテを頼ってハワード・ヒューズと出会い、28年に「三人水兵恋の行脚」へエキストラ出演。その後セシル・B・デミルの作品のテストを受け、出演には至らなかったが彼の勧めでパサディナ・プレイハウスに入学。その後29年の「ヴァージニアン」へ出演するゲイリー・クーパーへヴァージニア訛りを指導し、エキストラ出演もしている。幾つかの舞台に出演後、31年にパナマウントと契約。翌年には「砂漠の遺産」で主役を獲得した。以降はスマートな二枚目スターとして西部劇を中心に活躍。38年に契約が切れるとダリル・F・ザナックに招かれたり、「風と共に去りぬ」のアシュレー役を原作のマーガレット・ミッチェルから推薦されたりと話題になった。44年からは製作者としても活動し始め、ハリー・ジョー・ブラウンと共にプロダクションを設立して10数本の作品を手掛けている。60年の「決闘コマンチ砦」を最後に引退を表明。しかしサム・ペキンパーに頼み込まれて62年に「昼下りの決斗」に主演して終演の美を飾った。私生活では2度の結婚を経験して子供はふたり。ケイリー・グラントやフレッド・アステアとは深い交友関係を続け、投資家としても成功を納めて1億ドル近い資産があったという。しかしそんな事はおくびにも出さない紳士だったと言われている。87年、老衰のためにこの世を去った。

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