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ショーン・ペン

生年月日
1960年8月17日
出身地
アメリカ/カリフォルニア州サンタモニカ

略歴

父はコロンボ・シリーズの名作「刑事コロンボ/別れのワイン」を演出したレオ・ペン。母は女優のアイリーン・ライアン。マイケル、クリストファー(クリス)、も俳優。高校時代から8mm映画を作るなどしていた映画狂。卒業後はパット・ヒングルの助手として劇団の裏方や演出を2年間学び、79年、TVM「誰がウェブスターを殺したか」で注目を浴びる。その後のNYでの舞台も絶賛され81年の「タップス」で映画デビュー。以降性格俳優として持ち前の実力を発揮。しかし気性の激しさが災いして、85年のマドンナとの結婚時には、度々警察の御厄介になり、87年には飲酒運転と暴行で六ヶ月の実刑を受け、89年には離婚も経験。だが「ステート・オブ・グレース」で共演したロビン・ライトとの出会いをきっかけに、91年の「インディアン・ランナー」で脚本、監督デビューするなど公私両面で充実の時を迎える。以後、95年の「クロッシング・ガード」、01年の「プレッジ」と手堅い演出をみせて監督業でも確固たる評価を確立する一方、俳優としても95年の「デッドマン・ウォーキング」を皮切りに、99年の「ギター弾きの恋」、01年の「I am Sam」と3度アカデミー主演賞にノミネートされハリウッドきっての実力派の地位を不動のものとしている。そして03年、クリント・イーストウッド監督作「ミスティック・リバー」で4度目のノミネートにして、ついに初のオスカー獲得となった。人一倍シャイなことと、演技に優劣を付けることに対して批判的だったことから、それまで授賞式への出席を拒んできた彼が、この年初めて授賞式会場に姿を見せたことも大きな話題となった。受賞の瞬間は、俳優仲間からスタンディングオベーションで迎えられた。ロビン・ライトとは二児をもうけ、96年正式に籍を入れたが07年に離婚危機に陥りその後復縁するなど、3度の離婚申請がなされるなどしていたが、10年に14年の結婚生活に終止符が打たれた。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
アカデミー賞 第81回(2008年)
NY批評家協会賞 第74回(2008年)
LA批評家協会賞 第34回(2008年)
アカデミー賞 第76回(2003年)
ヴェネチア国際映画祭 第60回(2003年)
ゴールデン・グローブ 第61回(2003年)
ヴェネチア国際映画祭 第55回(1998年)
カンヌ国際映画祭 第50回(1997年)
ベルリン国際映画祭 第46回(1996年)
LA批評家協会賞 第9回(1983年)
  • ニュー・ジェネレーション賞
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