略歴
先天性の足首関節の異常により内反足で幼い頃はいじめに会い音楽に没頭。6歳で聖歌隊に入り、その後ピアノやバイオリンを勉強し、12歳の時には管弦楽の作曲をするなど音楽の才能を発揮。音楽学校を経てカレッジに進み、作曲と音楽の学位を取得。その後はピアニストとしてオーケストラに加わり全米を巡業し、帰国後はロイヤル・コート・シアターの常任作曲家となった。60年にピーター・クックと知り合い、いくつものレヴューを手掛けてトニー賞を受賞。映画の方でも67年の「悪いことしましョ!」などで活躍し始めた。77年にクックとコンビを解消し、アメリカを拠点に「ファール・プレイ」、「テン」とヒットにも恵まれ「ミスター・アーサー」ではアカデミー主演賞候補にもなった。その後はオーケストラの指揮者として活躍していたが99年、痴呆症の一種である進行性核上性麻痺を患っていることを公表。闘病を続けていたが02年、肺炎が原因で死亡した。結婚は4回したが皆破局に終わっている。
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受賞歴
映画賞 | 受賞回(年度) | 受賞部門 / 作品 |
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ゴールデン・グローブ | 第42回(1984年) |
結婚ダブルス/ミッキー&モード |
ゴールデン・グローブ | 第39回(1981年) |
ミスター・アーサー |