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M・ナイト・シャマラン

生年月日
1970年8月6日
出身地
インド/ポンディチェリー

略歴

インドのポンディチェリーにおいて優秀な医師の家系に生まれる。幼少期にアメリカ・フィラデルフィアの高級住宅地域に移住。8歳の時に8ミリカメラを与えられ、幼くして映画製作に目覚める。スティーヴン・スピルバーグがアイドルだったシャマラン少年は17歳の時までに実に45本の自主映画を手掛けた。カトリック系の高校を優秀な成績で卒業後、医者の道をあっさりと捨て、映画製作を学ぶため、ニューヨーク大学芸術学部(Tisch School of the Arts)へ進む。そこを92年に卒業し、同年初めての長編映画「Playing with Anger」を監督。自らの生まれ故郷インドへの旅を基にしたこの作品は批評的な成功を収めた。98年、最初のメジャー作品となる「翼のない天使」(日本劇場未公開)で脚本と監督を務めるが、自信の少年時代を色濃く反映したこの作品は興行的な成功を得るまでにはいかなかった。しかし、翌99年に3作目となる作品で彼のキャリアはいきなり頂点へ登り詰める。ブルース・ウィリス主演でつくられた「シックス・センス」は斬新でスタイリッシュな演出と、世界中が度肝を抜かれた衝撃のラストで興行面で大いなる成功を収め、自身もアカデミー賞の監督賞と脚本賞にダブルノミネートされるなど一躍ハリウッドでもっとも注目される監督の仲間入りを果たす。この作品は名子役ハーレイ・ジョエル・オスメントの出世作ともなった。ブルース・ウィリスと再びコンビを組んで4作目「アンブレイカブル」を製作。この作品で脚本料として破格の500万ドルを獲得。続く「サイン」ではその記録を大幅に更新する1,000万ドル以上の値が脚本に付けられ大きな話題に。その後も「ヴィレッジ」、「レディ・イン・ザ・ウォーター」とミステリアスな作品を手掛け、今や名実ともにハリウッドを代表するフィルムメイカーのひとりとなった。これからもその一挙一動から目が離せない監督であることは間違いない。

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