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マーロン・ブランド

生年月日
1924年4月3日
出身地
アメリカ/ネブラスカ州オマハ

略歴

セールスマンの父と役者業の母のもとで育つが、両親の素行の悪さもあり、反抗的な青春時代を過ごす。19歳の頃、女優志望だった姉ジョスリンの誘いでニューヨークへ渡り、演技を学び始める。1940年代から舞台に立ち、エリア・カザン演出の『欲望という名の電車』で注目を集める。50年、「男たち」で映画デビュー。51年には舞台版と同じくエリア・カザンがメガホンを執った「欲望という名の電車」でアカデミー賞主演男優賞に初ノミネートされ、一躍名を広める。そして「革命児サパタ」でカンヌ国際映画祭男優賞、「波止場」でオスカー主演男優賞を獲得し、60年の「片目のジャック」では初の監督も務めた。「ゴッドファーザー」で2度目のアカデミー主演男優賞に輝くが、かねてより公民権運動に関わっていたことから映画界に蔓延る人種差別を非難し、受賞を拒否した。また同年の「ラストタンゴ・イン・パリ」は過激な性描写が議論を呼んだ。その後も「スーパーマン」や「地獄の黙示録」などで強烈な印象を残すが、70年代中盤から法外なギャラを要求するようになる。さらには、セリフを覚えてこない、女グセが悪いなど公私共に数々のトラブルを引き起こしてきたことで知られるが、その圧倒的な存在感と、自分を役に投影する内面重視のメソッド演技法を基に確立した独特の演技スタイルは後世の俳優たちに多大な影響を与え、戦後を代表する名優としてカリスマ的存在となっている。2004年7月、肺線維症によりこの世を去った。享年80歳。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
NY批評家協会賞 第39回(1973年)
ゴールデン・グローブ 第31回(1973年)
  • 世界でもっとも好かれた男優
アカデミー賞 第45回(1972年)
ゴールデン・グローブ 第30回(1972年)
ゴールデン・グローブ 第30回(1972年)
  • 世界でもっとも好かれた男優
ゴールデン・グローブ 第13回(1955年)
  • 世界でもっとも好かれた男優
アカデミー賞 第27回(1954年)
NY批評家協会賞 第20回(1954年)
ゴールデン・グローブ 第12回(1954年)
カンヌ国際映画祭 第5回(1952年)
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